クルクルパッチンは宇治の山あいにある京都造形活動研究所のオリジナルおもちゃです。
初めてこれを見た時、どうやって遊ぶものか全然わかりませんでした。
というより、そもそもこれがおもちゃなのかどうかわからず、
神社の巫女さんの持ち物か、日本舞踊の小道具か、はたまた琉球の武器かと
首をひねりました。
京都造形活動研究所は研究所といっても堅苦しさはみじんもなく、
近所の子どもたちが集まっていろいろなおもちゃを作って遊ぶ丸太作りの家です。
建物の一階は工作用のスペースで、二階は有料の美術館として
子どもたちが作ったおもちゃが所狭しと並べられています。
そのひとつひとつに学年と名前が貼られ、
ちょうど小学生の夏休みの工作展を見ているようです。
ただし、なかみはレベルが高く、木の家のドアをひくと糸がひっぱられて
中から人形が顔を出すといった、からくり細工の傑作がそろっています。
子どもというのは時間と場所と材料と道具とコーチに恵まれて経験を重ねていくと、
こんなに面白いおもちゃが作れるものなんだ、ここまで行けるものなんだという証明が
ここにはあります。
のこぎりの傷、曲がったクギ、はみだした絵の具、そういうものは随所に見られますが、
売り物ではないし、そんなことは問題ではありません。
それよりなにより、作る側の創意工夫のあとや工作を楽しんだであろう残り香が
こんなにストレートに伝わってくるおもちゃ群に会えるのは、とても珍しいことです。
お金を払って見る価値は十分にあります。
で、クルクルパッチンは、ここが運営資金づくりを兼ねていろいろ作っている
ミュージアムグッズのひとつです。
遊び方はそうとう意表をついています。
はじっこの板を片手に一本ずつ持って、ぶらさがった竹の輪をねじります。
ねじって離すと、輪は元に戻ろうとしてクルクルまわりだします。
その時、ここぞと思うところで二枚の板を拍子木のようにパチンとはたくと、
色糸は風をはらんだスカートのようにふわっとひろがり、
輪は元に戻るを通り越して、逆方向にいきおいよくねじれていきます。
で、戻ってくるところでまたパチン。するとふわっ。クルクル。
タイミングよくやるとこれがいつまでも続きます。
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ねじって… |
離して… |
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パチン!…ふわっ。 |
クルクルクルクル。 |
それを自分でやめたくなるまで続ければいい、なにを作るでもなく、誰と競うでもなく、
自分が得心すればそれでいいというおもちゃです。
はっきりいって、ここまで自由であざやかなおもちゃは
そうは思いつけるものではありません。
一般におもちゃはいくつかに分類することができます。
積み木系とかパズル系とかままごと系とかゲーム系とか。
ですから、おもちゃ作家が「新作です」といっても、
たいていは旧作のバリエーションとか、ふたつの系統のミックスとか、
すでにあるものの素材を変えるとかが普通で、一目見ればどういうおもちゃかは
わかるようになっています。
おもしろいつまらないはともかく、最低限遊び方はわかります。
ところがクルクルパッチンではそれがわかりませんでした。
なぜならこのおもちゃのクライマックスは
「なにかの形を作り上げる」とか「相手に勝つ」とかではなく、
「パチンと打たれてひろがった色糸が半分風にとけこんで
残像の連続となる瞬間を見届ける」
というところにあるからです。
他のおもちゃとはあまりに異なる、天馬空を行く発想としかいいようがありません。
京都造形活動研究所の創設者で「クルクルパッチン」の考案者でもある村栄さんは
若くして故人となり、ぼくはお目にかかる機会を得ませんでしたが、
残されたおもちゃの方はこうして手に入れることができます。
空にたまたま虹を見つけたときの感じ、それがどうしたというのではないけれど
妙に嬉しくなるあの感じ。
クルクルパッチンに出会ったときの気持ちはまさにそんな風でした。
(03/05/17 update. )
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