「私家版・日本おもちゃ名作選」
おもちゃ作家・杉山亮



第5回 「がいこつのカタカタ」


「動く、光る、音がする」
 ----これを、売れるおもちゃの三要素といいます。
早い話が電池を使うおもちゃはたいていそうで、
デパートの展示コーナーでは、そのてのおもちゃがピカピカゴーゴーと動きまわって、
はばをきかしています。
たしかに手っ取り早く子どもの目や耳をひきそうです。

光ったり、音がしたりするおもちゃの悪口をいうのはそんなに難しいことではありません。
いわく「見た目の派手さで子どもの所有欲をそそるが、
おもちゃがなんでも自分でやってしまうので、子どもが想像力をはたらかせる余地がない」
「こわれやすい」「直せない」「やかましい」「毒々しい」「手を加えられない」などなど。
どれも現代のおもちゃの風潮を嘆くときによく使われるいいまわしで、
ぼくの知人のおもちゃ作家にも二言目には「おもちゃは素朴が一番」といって
「売れる三要素」攻撃に徹する人がいます。

実際、ぼくの作るおもちゃにもこの三要素を満たすものはひとつもありません。
もとよりシナベニヤの合板を糸ノコで切るのがぼくの手法ですから、
仮にロボットのおもちゃをつくったとしても、
動かすのは自分の手でやり、出るはずの音は自分の口で代行し、
目から発射されるはずの光線は空想でまにあわすことになります。
それがいい悪いではなく、木ではその程度しか作れないし、だから作らないとわりきっています。

ところが、仙台で「おもちゃ工房・ノームの家」を主宰する芳賀哲さんは違いました。
「なに? 動く、光る、音がする? おもしろい。木でもそういうものが作れるのを見せてやろう」
と考えました。
そして、できたのが [ がいこつのカタカタ ] です。



シナベニヤでがいこつの顔を2枚作り、骨の形の板をはさんでテグス糸でとめます。
振ると、がいこつの顔がゆれ動きます。
同時にカタカタと音がします(より正確に言うと、ガバガバと沈んだ音ですが)。
そして、なんとこれが表面に夜光塗料が塗ってあって、がいこつの顔が暗闇でボーッと光るのです。
アーッハッハッハ。



なによりいいのはおもちゃ作家としての芳賀さんの姿勢です。
だってばかばかしい。
そうまでして三要素にこだわる理由はどこにもないんで、
これはつまり本人が自分の思いつきを楽しんでいるのに決まっています。
けれども、おもちゃ作家に基本的に必要なのは「創意工夫」でも「チャレンジ精神」でもなくて、
ある種の「茶目っ気」なのではないかと、ぼくは思っています。

落語の世界でいうフラというやつで、あるおもちゃを見た人をして
「なんだい、こりゃ。驚いたね。どうもへたな細工じゃないか。よくこんなものを作る気になるね。
しかし、なんだかおもしろいね。こんなのありかね。あー、そうか、こんなのもありなんだ」
くらいにいわせてしまうおもちゃが確かに存在するのです。
ばかばかしさも上々のうちですが、がいこつのカタカタはまさにそのひとつです。

そんなおもちゃのフラをかもしだすのは、作者の茶目っ気でしょう。
芳賀さんは実は公務員で、ふだんは児童施設で働いています。
表向き、副業はできません。
仕方ないので、イベント会場では芳賀さんが作ったおもちゃを奥さんが売ります。
けれども、自分のおもちゃが目の前で売れるのを見るのはなんとも嬉しいので、
芳賀さんは正体を見破られないようピエロの扮装にメーキャップでそばにずっと立っているんだそうです。
やっぱりおかしい!

でもやっぱり、おもちゃ作家というのは、「教育関係者」とか「文化人」の隊列にいるよりも、
「歌うたい」とか「手品師」とか「人形遣い」とか、
大勢の人に一時の楽しさを提供してオアシをいただく系列の人たちといっしょにいる方が、
自由でいい仕事ができるのでしょう。
がいこつのカタカタは、作者の茶目っ気が表に出た傑作です。

(03/04/30 update. )



第1回 「軍配」
第2回 「かさね箱」
第3回 「プラレール 」
第4回 「ミラクルボウル」
第5回 「がいこつのカタカタ」
第6回 「クルクルパッチン」
第7回 「花はじき遊び」
第8回 「星ッコロ」

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