「私家版・日本おもちゃ名作選」
おもちゃ作家・杉山亮



第3回 「プラレール 」

ぼくがプラレールに熱中したのは、小学校の五年生の頃でした。
(これだけでも、おもちゃて遊ぶ年齢が、時代とともに下がり、かつ短くなっているのがわかります。今、プラレールで遊ぶ五年生はあまり見かけないでしょう)
最初に、基本セット(だ円形につながるレールと汽車だけ)を親に買ってもらい、あとは自分のおこづかいで、少しづつレールやアクセサリーを買いたしていきました。



ちなみに乗り物のおもちゃが好きな子は、どこかで自動車派と鉄道派にわかれるようで、両方好きという子はあまりいません。
両者は本質的に違う遊びだからです。
自動車派の子は車そのものにこだわり、また、いろいろな種類の車を集めますが、鉄道派の子は車両よりもまず、レールを集めます。つまり、自動車派はレーシングカーやチョロQでスピードを競ったり、モデルカーを手で押して部屋中をはいまわったりして、できるものなら、みずからドライバーになって運転を楽しみたいよというストレートで肉感的な願望をみせるのですが、鉄道派の方には、レールを好みの形につなげて、一人静かに鉄道のシステム全体をつくりだそうという創造主願望が入ってくるのです。 いつもどこかで屈折していたぼくは当然鉄道派で、レーシングカーがはやったときにも、ほしいとはまったくおもいませんでしたし、速さを争う気などさらさらなく、もっぱらプラレールをしたり、架空の世界地図に架空の町や鉄道の絵を書きこんで遊んでいました。
「車が好きな子ども」から「暴走族」へ、というパターンはありそうですが、SLマニアの暴走族はあまりききません。
つまり、子どもには自動車派と鉄道派が、たしかにあるのです。


さて、プラレールというおもちゃのもっともすてきな点は、それが息長く作られ、売られているところです。
発売開始は1961年まで、さかのぼります。
日本でこれほど長いこと継続して売られ、昔、親が子どもだった頃、持っていた部品に今、売られている部品を買いたして、自分の子どもに渡していっしょに遊べるおもちゃはそうはありません。 プラレールの他には、せいぜいタカラのリカちゃんがあるくらいです。

この事実は少々悲しいというか、日本のおもちゃメーカーのこころざしの低さが見えてしまっています。
どのメーカーも、利益をあげるのに急で、安易にキャラクターをつけたり、とにかくかわいく見せようとしたり、子どもを消費者以上に見ようとしません。
すてきな遊び手を育てるのがへたというか、時代の中で熟してくるものがあるのを待てないのです。
次から次へと新しいものをだしていくのは、作品に自信がない証拠といわれてもしかたないでしょう。
これだというものができたら、どっしり構えて売りつづけていれば、子どもの方はあとからあとから生まれてくるし、それがメーカーの定番にもなっていくのに、その間をがまんできない。
たちの悪いメーカーだと、わざと毎年フルモデルチェンジして、「売り」に走ることもできてしまいます。
もちろん、それを見破れずに、はやりのものを次々に子どもに買いあたえてしまう、大人の側の問題もあります。
そういう大人が多いということこそ、日本のおもちゃ文化がすてきな遊び手を育ててこられなかった証しかもしれません。
その中で、プラレールは腰がすわっています。
ポリエチレンの質も悪くないし、電動でも手動でも使えるし、いまだにレール四本数百円で買いたせます。
いつでも鉄道好きな子が一定数いることを信じて、安価で部品を売りつづけ、ひとつの世界を構成する楽しさとなにかに没頭する機会をくれ、また、その子の周辺にあらたにプラレール好きな子を育てることで、ちゃんと採算レールにも乗せています。
ぼくは自分の子どもにもプラレールを買ったから、プラレールと足掛け30年もつきあったことになります。
トミーから「ありがとうございます」といわれてもよさそうです。
でも、ぼくもプラレールと出会ったことで、子ども時代の膨大な退屈な時間をいくらか埋め、いい夢を見させてもらったし、さらにはぼくの子どもまでお世話になりました。
ですから、こちらからも「ありがとうございます」と、挨拶してしまいます。 うん。いい関係でしたね。




第1回 「軍配」
第2回 「かさね箱」
第3回 「プラレール 」
第4回 「ミラクルボウル」
第5回 「がいこつのカタカタ」
第6回 「クルクルパッチン」
第7回 「花はじき遊び」
第8回 「星ッコロ」

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