考えてみると、小学校の理科の時間はおもちゃの宝庫でした。
磁石、ばね、プリズムなどなど、どれもこれもが地球の力そのものであり、その力を知る教材であり、そして一級品のおもちゃでした。
鏡もまちがいなく、そのひとつです。
理科の教材としていうと、「光の性質」なんてあたりで、お手伝いに出てきます。
ただ、鏡はどこかに魔を秘めているところがあって、ちょっとこわい。ぼくはいまだに、夜中に手洗いに起きたとき、洗面台の鏡は見ないようにしています。
すみっこになにか変なものが、映っていたらいやですから。
でも、物をそっくりに映しだすという鏡の性質は、他の追随を許さず、すごいことですから、うまく利用すると、とてもトリッキーで不思議なおもちゃが生まれます。
ミラクルボウルは、がらんどうの球を半分に切って台の上に置いた形をしています。
球の外側は凸面鏡、内側は凹面鏡になっています。
遊び方はいろいろで、まず凸面側を持って部屋の中央に立ち、真上にかざすと、なんと部屋の四方の壁が一度に映ります。
ちょうど妹尾河童さんの描く、部屋の見取り図のような、ありえない光景が現れるのです。
凹面側は反射光の焦点が、球の内部の中空にあるので、これも奇妙なものが見られます。
鏡に指を近づけていくと、向こうからも指が飛びだしてくるように、立体的に見えるのです。
でも、そこに浮かんでいる像は、つかめそうでいて、絶対につかめません。この現象を利用して、ゴーストを見せるおもちゃも発売されています。
このミラクルボウルの生みの親は、埼玉県狭山市に住む吉村七郎さんです。
吉村さんは小学校の教師として、長い間、仮説実験授業の普及と開発に力をつくしてこられました。
ぼくも一度、吉村先生の公開授業を受けたことがありますが、独特の教材を駆使して、分子とか気圧とかの、なんともとらえどころのないもののイメージをあざやかにわからせてくれました。
そういう目に見えないものが、教科書の中だけでなく実在して、それはぼくたちが生きていることと無関係ではないということを実感できる、スリリングで説得力のある授業でした。
そう、実感ということばはとても大事です。
これはひとつの力でしょう。
例えば「走り高跳びの世界最高記録は2メートル35センチです」といわれても、今一つピンときません。(すごいんだろうなあ)くらいには思っても、直接ひびいてはこず、感動もありません。
けれども、そこで床から2・35メートルのところにしるしをつけてみると、この高さに渡されたバーをさわらずにとびこえるなんて信じられないと、驚かされます。
そこからどういうリアクションにいくかはわかりませんが、心の起伏がはっきりして、なにか自分の奥に駆りたてるような気持ちがわいてきます。
これが実感のうむ力です。
そこで、子どもの前でこの話をするときには、2.35メートルの長さのひもをあらかじめ用意しておけば、よりスムーズにそのすごさを実感できることになります。いいかたを変えると、いい教材があった方がインパクトがあるということですね。
たとえば、そういうものをさがしてきたり、作りだすのが、吉村先生は得意です。
ミラクルボウルは、実は業者が倒産して手に入らなくなっていたものを、吉村先生が偶然、町で見つけたものです。
ただし、秋葉原の電気屋街で、新製品の電球をひきたてる笠として使われていたらしい。
思わず「あった!」と、叫んだそうです。
そして、その吉村先生の眼力のおかげで、メーカーと交渉が始まり、今こうしてミラクルボウルという名で、学校教材として安定供給されています。
焦点があったところで、像を結ぶという光の性質を目の前で実感できるわけですから、光の勉強にはとてもいいのだそうです。
けれども、ぼくとしては、吉村先生の発見時のエピソードの方が、はるかに重要です。
ひとつの世界にうちこんでいる人は、なにもかも自分につごうよく引きつけて見てしまうということ。
笑い話と紙一重ですが、おもちゃの発見、おもしろさの発見は、
まさにそこから始まると思うのです。
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