京都独特の建築様式というと、いわゆる町家のスタイルが有名である。間口は狭いのに、奥行きはびっくりするくらいある。
その昔、京都では、家の間口の巾に応じて税金を課せられたので、ちょっとでも税金を安くするべくそういう家のスタイルがあみ出されたと聞いたことがある。
観光客が、普通の民家に入る機会は少ないと思うが、錦市場などの各お店もそういう作りになっているところが多い。店先の間口はそれほどでなくても、奥はけっこう深いのである。
私も一度、下京区の大きな古い町家に住んでいたことがあるが、玄関からは想像つかないくらい長細い敷地であった。
手前に2階建ての母屋があり、坪庭とよばれる小さな中庭を挟んで、2階建ての離れがある。母屋と離れは渡り廊下でつながっていて、脇にお風呂とトイレがある。
離れの奥には、立派な土蔵があり、そのまた奥にかなり大きいプレハブの物置き小屋があるという規模であった。
また、京都の夏は暑さが非常に厳しいことで有名だが、それを防ぐためか軒がかなり深く、そのため一日中電気をつけなければならないほど暗いのだが、確かに夏は涼しく、凌ぎやすかった。梅雨明けの頃の爽やかさは最高に快適で、よく遊びに来た友人が、お酒を飲んで、あまりの気持ちよさについつい畳の上でうたたねしてしまうこともしょっちゅうであった。
そのかわりといっては何だが、冬はひどく寒かった。いくら暖房をしてもあまり効かないのである。家のあちこちに隙間があるので、ネズミやゴキブリはやりたい放題、窓も戸も全て閉まっているのに、床下のトンネルを抜けて野良猫が玄関でくつろいでいたなんてこともしばしばであった。
そんな私が住んでいた家よりは、もっと新しい時代の家ではないかと思うのだが、京都の中心部のそこそこ古い住宅や商家には、表通りに面してウインドーのついた家がよく見かけられる。
基本的には、何かの商売をやっていた名残りではないかと思うのだが、本来の役目を終えた今では、住む人のプライベートディスプレイのステージとなっている。
たいていは、ほこりをかぶったサボテンや、五円玉をはめ込まれた「幸せのなる木(幸福の木?)」のような多肉植物が、みすぼらしく置かれているようなところが多いが、この絵のように、キッチュな造花や人形が飾ってあったり、色紙が立ててあったりもする。
また、あるお店のウインドーには、本来の商品とは全く関係のない、キユーピー人形や、小さな動物の人形のコレクションをこまごまと並べてあった。
大学を卒業した後に住んでいた西陣のあたりにも、ウインドーのついた古い家があり、そこでは「町内展」と銘打って、お宝(?)めいた古地図が展示してあったり、近所のお年寄りの作とおぼしき、12色サインペンによるツキノワグマの絵といったアバンギャルド!なものが展示してあったりで、通るたびに展示内容が変わっていた。
こんなプライベートディスプレイは、京都の下町をぶらぶら散歩するものの目を楽しませ、心を和ませてくれる。
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