このいかにも古そうなベティさんの時計は、ある小さな時計店の看板である。いや、あったというべきか。
場所は、京都の繁華街のどまんなか、河原町に程近い、四条通に面して昔からあった。
私は、京都で学生生活を6年間送り、卒業後も10年ばかり京都で暮らしていた。私が学生の頃(20年以上前)にはこの時計店はもちろんあったし、店のたたずまいからして、それより相当古くからやっていたと思われる。
間口が非常に狭く、京都の東西のメインストリートともいえる四条通のなかでもかなり小さい店だったと思う。そのお店の看板として、店の横に取り付けられていたのが、このレトロなベティさんの時計である。ベティさんのおなかの部分に時計がはめこまれているのだが、実は表と裏、両面貼り合わせになっていて、東側は手描きの動かない時計、西側は本物の時計という具合。
このベティさんの時計をいつも見ながら四条通を歩いていたのだが、あまりにも見慣れてしまい、それは私の中では当たり前の風景と化していたのだ。
16年間の京都生活を経た後、東京に住まいを移し、改めて仕事として京都を散策してみる機会を持った。
観光名所でもない、世界的文化遺産でもない、でもずっと残っていて欲しい独自の京都を再発見するための、小さな旅の企画であった。私は愛情を込めて「B級遺産」と呼んでいるのだが、それは庶民の暮らしのなかで自然発生的にそこにあるもの、あるいは偶然の結果として残った「天然記念物」とでもいうものである。
さて、どこを歩こうかと考えたとき、最初に頭に浮かんだのが、 このベティさんの時計だった。ところがところが…取材ということになり、現地に赴いたところ、看板はおろか、お店じたいが消えてしまっていたのだ!あまりにも「風景化」していたので、じっさいどこらへんにあったかもうろ覚えだったのだが、何度往復してもやっぱりない。新しいショップに変わってしまっていたのであった。
正直言って、本当にがっかりした。
あんなに長い間あったから、これからもあるだろうと勝手に考えていた私が間違っていた。時代は移りゆくのだ。
お上が認める文化遺産であれば保護もされるだろう。でもこういったB級遺産こそは、オーナーの気持ちひとつ、事情ひとつである日突然、何のことわりもなく姿を消すこともあるということを思い知らされたのである。
この一件で、私はB級遺産のウォッチャーになろうと決心をした。
「保護」までは無理でも、こうした愛すべきものたちの一生を見届けてやろうと。
その後も京都を訪れるたび、どんどん再開発が進んでいる現状を目の当たりにして、焦りすら感じている今日この頃である。
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